本居宣長とは何をした人?簡単にわかる功績と代表著作まとめ

本居宣長とは何をした人?簡単にわかる功績と代表著作まとめ 日本の歴史

「本居宣長(もとおり のりなが)」という名前は教科書で見かけるけれど、結局なにをした人なのか、イメージしにくい…という人は多いのではないでしょうか。

本記事では、江戸時代を代表する国学者・本居宣長の生涯や活躍した時代背景から、国学を体系化した功績、『古事記伝』などの代表的な著作、そして「もののあはれ」に代表される思想のポイントまでを、できるだけやさしく解説します。

読み終えるころには、「本居宣長が日本文化や日本語の理解にどんな役割を果たしたのか」が一通りつかめるようになります。

本居宣長とはどんな人物?

生涯を簡単に紹介

本居宣長(もとおりのりなが、1730年〜1801年)は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した国学者であり、医師としても活動した人物です。

伊勢国松坂(現在の三重県松阪市)の商家に生まれ、幼いころから本を読むことや学問を好む子どもだったと伝えられています。

23歳のときに医学を学ぶため京都に上り、儒学や漢学にも触れながら、古典にも深い関心を抱くようになりました。

その後松坂に戻って医者として開業し、日中は町医者として診療を行い、夜は古典や日本語の研究に打ち込む生活を続けました。

34歳のときに賀茂真淵と出会って国学を本格的に学び始め、その後『古事記伝』をはじめとする多くの著作を残して「国学を完成させた人物」と評価されるようになりました。

生涯を通じて多くの門人を育て、松坂の自宅書斎「鈴屋(すずのや)」は国学を学ぶ人々が集まる拠点となりました。

本居宣長が活躍した時代背景

本居宣長が生きた18世紀から19世紀初めの日本は、徳川幕府による統治が続き、おおむね平和で安定した江戸時代中期から後期にあたります。

このころの政治は、朱子学を基礎とした儒教的な秩序が「正しい学問」とされ、武士を中心に中国由来の思想や制度が重んじられていました。

一方で、長く続く幕藩体制のもとで社会や経済の矛盾も生まれ、18世紀後半には田沼時代や天明の飢饉など、政治や社会が揺らぐ出来事も起こりました。

こうした状況のなかで、「中国由来の価値観だけではなく、日本固有の神話や古典に立ち返って、日本人の精神や文化を見直そう」という国学の動きが強まりました。

国学は契沖や荷田春満、賀茂真淵らに始まり、やがて本居宣長によって大きく発展させられ、日本の古典や神話を実証的に読み解く学問として形を整えていきました。

宣長の研究は、当時支配的だった儒教中心の価値観に対して、日本の古典の中にある独自の感性や「日本らしさ」を見いだそうとする動きの一つとして理解されています。

本居宣長は何をした人?その功績を簡単に解説

国学を体系化し発展させた功績

本居宣長は「国学を大成した」学者として知られています。

先に国学を進めた契沖や荷田春満や賀茂真淵の研究を受け継ぎながら、日本の古典や神話を徹底的に読み解く方法を整理し、一つの学問体系としてまとめ上げました。

宣長の国学は、中国から伝わった儒教や仏教の考え方をできるだけ取り除き、日本固有の言葉や物語に込められた心を重視する姿勢が大きな特徴です。

そのため宣長は、日本の古典を読むときには、後世の道徳観や思想を押しつけずに、当時の人びとの感情や言葉づかいに寄り添って理解するべきだと考えました。

こうした方法によって、国学は単なる愛国的な学問ではなく、言葉や文献に基づいて日本の古い時代の姿を探る実証的な研究として発展していきました。

宣長の国学は、多くの門人や後の国学者に受け継がれ、江戸時代後期から明治維新期にかけての思想や文化に大きな影響を与える基盤となりました。

『古事記』研究と「古事記伝」の完成

本居宣長の代表的な業績として、神話と歴史を記した『古事記』の本格的な注釈書である『古事記伝』があります。

『古事記』は日本で最も古い歴史書とされますが、長いあいだ十分には読まれず、簡単な注釈があるだけの存在でした。

宣長は『古事記』こそ日本の古い言葉や神話の姿が最もよく残っていると考え、若いころから長年にわたって読み解く研究を続けました。

そして34年以上の年月をかけて、『古事記』全体にわたる44巻の大著『古事記伝』を完成させました。

『古事記伝』では、一語一語の意味や古い言葉の用法を細かく調べ、筋書きだけでなく、言葉づかいから古代の世界観や神々の姿を明らかにしようとしました。

この書物によって『古事記』の価値が広く認められ、日本の神話や古代史を考えるうえで欠かせない古典としての地位が確立されました。

『古事記伝』は、国学の研究方法を示す模範的な実例であり、のちの日本文学研究や神話研究にも大きな影響を残しました。

日本語・和歌研究における重要な貢献

本居宣長は国学者であると同時に、日本語や和歌の研究者としても大きな足跡を残しました。

和歌の分野では、『古今和歌集』の全ての歌に訳と注を施した『古今集遠鏡』などを著し、古典和歌の意味や表現をわかりやすく説明しました。

また『源氏物語玉の小櫛』などの物語研究でも、言葉の意味や用法をていねいに検討し、物語の内容だけでなく、表現の細部にまで目を向けました。

日本語そのものについても、漢字の音を仮名でどのように写すかを論じた『字音仮字用格』などを著し、仮名遣いの整理や音と文字の関係の理解に貢献しました。

宣長の研究は、後世の国語学や日本語学の発展にとって重要な先駆けとなり、日本語の歴史や文法を考える際の基礎的な成果の一部として評価されています。

和歌や物語や言語研究を通じて、宣長は日本語の響きや表現の細やかさを重んじ、その背後にある人の感情や心の動きを読み取ろうとしました。

本居宣長の考え方・思想のポイント

「もののあはれ」とは何か

本居宣長の思想を語るうえで欠かせないキーワードが「もののあはれ」です。

宣長は『源氏物語玉の小櫛』などの著作の中で、『源氏物語』という作品の本質は「もののあはれ」を知ることにあると述べました。

ここでいう「もの」とは人や出来事や自然などあらゆる対象を指し、「あはれ」とはそれらに触れたときに心の中に湧きあがるしみじみとした感動や情感を意味します。

つまり「もののあはれ」とは、外の世界の出来事や風景がきっかけとなって、心の中に起こる深い感動のあり方そのものを指す言葉だといえます。

宣長は、人が生きる中で避けられない別れや移ろいの中にこそ強い感情が生まれ、その感情を素直に感じ取り、また表現することに文学の価値があると考えました。

この考え方は、善悪や道徳で作品を評価しようとする儒教的な見方とは異なり、まず「感じること」自体を尊いものとみなす、美的な立場に立っています。

そのため宣長の「もののあはれ」は、日本文学全体の特徴を説明する概念としても重視され、のちの文学研究でも繰り返し論じられるようになりました。

国学思想が後世に与えた影響

本居宣長の国学思想は、日本の古典を読み直し、日本固有の精神や感性を重んじる立場を明確にした点で、後の時代に大きな影響を与えました。

宣長は、中国から伝わった儒教や仏教の教えをいったん脇に置き、日本の神話や和歌や物語の中に流れる素朴で率直な感情や「やまとごころ」を大切にしようとしました。

この姿勢は、江戸時代後期の国学者である平田篤胤らに受け継がれ、神道や日本の古い伝承を重視する復古的な思想に発展していきました。

やがて国学の一部の流れは、天皇を中心とする国家観や、明治維新期の尊王思想とも結びつき、近代日本の形成期の精神的な土台の一つともみなされるようになりました。

一方で、宣長の研究は日本文学や日本思想を学問的に扱う際の出発点としても重視されており、近代以降の日本思想史や文学研究では、本居宣長を重要な古典研究者として位置づける見方も広がりました。

このように宣長は、日本の古典を丁寧に読み解く文献学的な研究者であると同時に、「日本とは何か」という問いを考えるうえで避けて通れない思想家として、現在まで語り継がれているのです。

本居宣長の代表的な著作一覧

『古事記伝』

『古事記伝』は、本居宣長の代表作であり、日本最古の歴史書『古事記』に対する大規模な注釈書です。

宣長は『古事記』こそ日本固有の神話や古い言葉がもっともよく残っていると考え、若いころから長年にわたって研究を続けました。

その成果として、35年余りの歳月をかけて全44巻におよぶ『古事記伝』をまとめ上げ、1798年に執筆を終えたとされています。

『古事記伝』では、神話の筋を説明するだけでなく、一語一語の意味や古い語法を詳細に検討し、古代の世界観や神々の姿、人々の生活を明らかにしようとしました。

この書物によって『古事記』は、単なる古い神話集ではなく、日本文化や日本人の心のあり方を知るうえで欠かせない古典として再評価されました。

『古事記伝』はその後の国学だけでなく、古代史研究や神道思想の理解にも大きな影響を与えた学問的基礎として高く評価されています。

『源氏物語玉の小櫛』

『源氏物語玉の小櫛』は、本居宣長が『源氏物語』を読み解くために著した注釈と評論を合わせた大部の著作です。

宣長は『源氏物語』を、日本人の感情や心の動きをもっとも豊かに描いた文学作品として重視しました。

この書物の中で宣長は、登場人物の行動や物語の展開を細かく読み解きながら、「もののあはれ」という感情の在り方を作品の本質として捉えました。

『源氏物語玉の小櫛』では、物語の筋の説明だけでなく、言葉づかいや歌の解釈、時代背景の考証なども行い、作品全体の価値を理論的に示そうとしています。

宣長の読みは、道徳的な善悪の観点から作品を評価するのではなく、人の感情の深さや繊細さに焦点を当てた点に特徴があります。

そのため『源氏物語玉の小櫛』は、後世の『源氏物語』研究の出発点の一つとなり、日本文学における「もののあはれ」論の古典的なテキストとしても知られています。

その他の主要著作

本居宣長は『古事記伝』や『源氏物語玉の小櫛』のほかにも、多くの分野にわたる著作を残しています。

随筆集『玉勝間(たまかつま)』は、日常の見聞や読書のメモ、学問の考察、言語研究、地名や古典に関する覚え書きなどを集めた全14巻の大部の作品で、宣長の幅広い関心と探究心がうかがえる著作です。

入門書的な位置づけの『うひ山ぶみ(初山踏)』は、学問の心構えや国学を学ぶときの基本的な考え方を平易に説いた書物で、弟子や初学者に向けたガイドブックのような役割を果たしました。

和歌研究では『古今集遠鏡』を著し、『古今和歌集』の歌を一つ一つ解釈しながら、その意味や表現の特徴を丁寧に解き明かしました。

日本語や文字に関する著作としては、漢字の音と仮名の関係や仮名遣いを論じた『字音仮字用格』や、助詞の用法を扱った『てにをは紐鏡』、言葉のあり方を論じた『詞の玉緒』などがあり、後の国語学や日本語学にとって重要な先駆的研究となりました。

さらに、学問論や国学のあり方を語った『玉くしげ』や、門人との質疑応答をまとめた『鈴屋問答』なども残されており、宣長がどのように考え、どう弟子たちを導いたのかを知る手がかりとなっています。

これらの著作を通じて、本居宣長は神話や物語や和歌だけでなく、日本語そのものや学問の姿勢にまで目を向け、日本文化を総合的にとらえようとした学者であったことがわかります。

本居宣長の功績が評価される理由

国学の基礎をつくった学問的価値

本居宣長の功績が高く評価される最大の理由は、国学を単なる趣味的な古典愛好から、体系だった学問としてまとめ上げた点にあります。

契沖や荷田春満や賀茂真淵らが進めてきた古典研究を引き継ぎつつ、宣長は『古事記伝』や多くの著作を通じて、日本の古典を実証的に読み解く方法を確立しました。

文献に立ち返って一語一語の意味や用法を確かめる姿勢は、後世から「国学の大成者」と呼ばれる根拠となり、国学を一つの学問体系として認めさせる力になりました。

また宣長は、日本語の文法や音韻の研究にも取り組み、助詞や活用や漢字音などを整理することで、日本語研究の先駆的な成果をあげたと評価されています。

仮名遣いや五十音図の説明など、後の国語学につながる基礎的な枠組みを示したことも、学問的価値が大きいとされる理由の一つです。

こうした文献学と言語研究を土台として、日本固有の歴史や神話や文学を読み直した点に、学問としての国学の「骨組み」を作った宣長の役割を見ることができます。

日本文化・文学研究への影響

本居宣長の仕事は、国学という一分野にとどまらず、日本文化や日本文学の捉え方そのものに長期的な影響を与えました。

『古事記伝』によって『古事記』の価値が再発見され、日本の神話や古代の世界観が文化史上重要な資料として位置づけられるようになりました。

『源氏物語玉の小櫛』などの研究では、「もののあはれ」をキーワードに日本文学の特質を説明し、感情の細やかさや移ろいを重んじる日本的な感性を理論化しました。

このような読み方は、近代以降の日本文学研究に大きな影響を与え、『源氏物語』を世界文学級の古典として評価する流れを支える一つの根拠となりました。

さらに宣長の学問は、平田篤胤ら後続の国学者に受け継がれ、近世から近代への時期における日本人の自己認識や国家観の形成にも関わる思想的基盤の一部となりました。

現代でも、本居宣長記念館や大学での研究を通じて、宣長の著作や方法論は日本文化や日本語を理解するための重要な手掛かりとして読み継がれています。

本居宣長の年表

西暦和暦主な出来事
1730年享保15年伊勢国松坂本町に生まれる。
1752年宝暦2年医学修行のため京都に上り堀景山に入門し姓を本居と改める。
1755年宝暦5年名を宣長と改め号を春庵と称して医者として立つ。
1757年宝暦7年松坂に帰郷して医業を開き本格的に町医者として活動を始める。
1758年宝暦8年嶺松院歌会に初めて参加し松坂で『源氏物語』の講釈を開始する。
1763年宝暦13年賀茂真淵と松坂で対面し以後国学研究を深める大きな契機となる。
1764年明和元年『古事記』の校合を行い真淵に入門して古事記研究に本格的に着手する。
1767年明和4年『古事記伝』の草稿を書き進め巻2の草稿本を脱稿する。
1771年明和8年『直霊』を脱稿し助詞論書『てにをは紐鏡』を刊行する。
1776年安永5年仮名遣いや漢字音を論じた『字音仮字用格』を刊行する。
1789年寛政元年『古事記伝』の初帙として巻1から巻5を刊行し大著の出版が始まる。
1792年寛政4年紀州藩に仕え和歌山城で御前講義を行うなど藩の学者医師としても活動する。
1798年寛政10年長年取り組んだ『古事記伝』全44巻を脱稿し完成させる。
1799年寛政11年『源氏物語』注釈書『源氏物語玉の小櫛』を刊行する。
1801年享和元年松坂において72歳で死去する。

まとめ|本居宣長は何をした人なのか簡単におさらい

本居宣長は江戸時代中期から後期にかけて活躍した国学者であり医師としても活動した人物です。

伊勢国松坂を拠点に医業を営みながら日本の古典や日本語を長年にわたって研究し国学を大きく発展させました。

最大の功績はそれまでの古典研究を受け継ぎつつ日本の神話や古典を実証的に読み解く方法を整え国学を一つの学問体系として大成したことです。

とくに日本最古の歴史書とされる『古事記』に対して四十余巻から成る大著『古事記伝』を著し日本神話と古代の世界観を本格的に解き明かした点が高く評価されています。

あわせて『源氏物語玉の小櫛』などの研究を通して「もののあはれ」という概念を明確に打ち出し日本文学の特質を説明する重要な鍵を示しました。

さらに和歌や物語だけでなく仮名遣いや助詞の用法など日本語そのものの仕組みを探究し後の国語学や日本語学の基盤につながる先駆的な成果を残しました。

本居宣長の国学思想は門人や後続の国学者に受け継がれ近世から近代にかけての日本人の自己理解や国家観にも影響を与えたと考えられています。

そのため本居宣長は日本の古典を読み解く方法を築き日本文化と日本語の理解に大きく貢献した国学の大成者として現在まで名をとどめているのです。

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