大正時代(たいしょうじだい)は、日本が近代国家として大きく変化した時代です。
明治時代に続く発展の中で、民主主義の芽生え「大正デモクラシー」や、都市文化・大衆文化が花開きました。
一方で、第一次世界大戦や関東大震災など、社会を揺るがす出来事も起こります。
本記事では、大正時代に何が起こったのかを初心者にもわかりやすく解説します。
大正時代とはどんな時代?
大正時代の期間と概要
大正時代は1912年7月30日に始まり1926年12月25日に終わった時代区分を指します。
明治から受け継いだ近代化の基盤の上に、都市の拡大と新しいメディアの普及が進み、政治や社会で「民意」をめぐる動きが強まったことが大きな特徴です。
元号と西暦の対応では大正元年が1912年、大正15年が1926年であり、このうち在位終期の12月25日から昭和元年となります。
明治時代・昭和時代との違い
明治時代は富国強兵や殖産興業など国家主導の近代化が急速に進み、官営工場や鉄道整備など産業とインフラの基礎づくりが進展しました。
これに対して大正時代は、教育普及とメディアの成長を背景に世論の力が政治や社会に浸透し、政党政治への期待が高まった点に違いがあります。
昭和初期は1927年の金融恐慌や1929年の世界恐慌の影響を受け、経済不安の中で軍部の影響力が増していくという流れがみられ、大正期の自由主義的な機運から状況が変化していきました。
「大正デモクラシー」とは?
「大正デモクラシー」とは、大正期に高まった民本主義や普通選挙運動、護憲運動などに代表される、政治の担い手を藩閥や官僚から世論と政党へ近づけようとする動きの総称です。
新聞やレコード、映画など新しいメディアが広がり、大衆の情報接触が増えたことが運動を後押しし、普通選挙実現へとつながる土壌が育まれました。
こうした潮流は、後の政党内閣の展開や選挙制度の拡充にも影響を与え、日本の政治文化に長期的な足跡を残しました。
大正時代に起こった主な出来事
1. 第一次世界大戦と日本の関わり
第一次世界大戦は1914年に勃発し、日本は日英同盟などを背景に連合国側として参戦しました。
日本は青島の戦いや山東半島での行動に加え、地中海への艦隊派遣や南洋群島の占領などを通じて戦後の国際会議における発言力を高めました。
その過程で中国に対する二十一カ条要求などを行い、戦後はパリ講和会議や国際連盟設立に関与する戦勝国の一員となりました。
2. 米騒動(こめそうどう)とは?
1918年に米価が急騰したことを契機に富山県から始まった抗議行動が全国へ波及し、都市部では商社や新聞社が襲撃されるなど大規模な社会騒擾となりました。
騒動は寺内正毅内閣の退陣につながり、戦時下の物価高や社会の不満が一気に噴出した事件として位置づけられます。
3. 関東大震災の発生と影響
1923年9月1日11時58分に相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9の関東大地震が発生しました。
首都圏を中心に家屋の倒壊と大規模火災が広がり、死者・行方不明者は約10万5000人に達するなど甚大な被害をもたらしました。
都市計画や耐震・防災政策の見直しが進み、社会・経済構造にも長期的な影響を与えました。
4. 普通選挙法の成立
普通選挙運動の高まりや護憲運動の影響を受け、1925年に納税要件を撤廃した男子普通選挙法が成立しました。
一方で同年に治安維持法が成立し、政治的結社や思想運動への規制が強化されるという相反する動きも併存しました。
5. 政党政治の始まり
1918年に成立した原敬内閣は、多くの閣僚を与党の政友会員で占めた初の本格的政党内閣と評されました。
その後の第二次護憲運動を経て、加藤高明内閣の護憲三派内閣などが登場し、犬養内閣が倒れる1932年まで政党内閣の時代が続きました。
大正時代の文化と社会の変化
大衆文化の発展(カフェ・映画・雑誌)
大正時代は都市の発展とともに大衆文化が急速に広がった時代でした。
東京や大阪を中心にカフェーと呼ばれる喫茶店や社交の場が登場し、若者や知識人が集う新しい都市文化が形成されました。
また映画館が各地に建設され、活動写真として知られる映画が娯楽として定着しました。
さらに「キング」「婦人公論」「主婦之友」などの大衆雑誌が相次いで創刊され、家庭や社会問題、流行を扱う記事が人気を集めました。
女性の社会進出と「モガ・モボ」文化
大正時代は女性の社会進出が始まった時代でもありました。
教育の機会が広がり、職業婦人と呼ばれる女性が事務職や教職などで働くようになりました。
当時の流行を象徴するのが「モダンガール(モガ)」と「モダンボーイ(モボ)」であり、洋装や短髪、ダンスホール文化など、欧米的なライフスタイルを積極的に取り入れました。
与謝野晶子や平塚らいてうなど、女性の地位向上を訴える言論人が登場し、女性解放運動の礎が築かれました。
都市化とライフスタイルの変化
大正時代には産業の発展とともに都市人口が増加し、東京や大阪、名古屋などの大都市圏が急速に拡大しました。
鉄道や電車網が整備され、百貨店や映画館などの商業施設が増加したことで、消費文化が根づいていきました。
生活様式も変化し、洋服や洋食、電灯やラジオなどの近代的な生活用品が一般家庭にも普及し始めました。
このような都市化と生活の近代化は、後の昭和初期の文化や消費社会の基盤となりました。
大正時代の代表的な人物
大正天皇とその時代背景
大正天皇は1879年8月31日に誕生し、1912年に即位しました。
病弱であったことから公務の多くを摂政である皇太子(のちの昭和天皇)が代行しましたが、その間に政治や社会では自由主義的な動きが広がりました。
大正天皇の治世は、明治の急速な近代化が一段落し、国民が政治参加や社会改革を意識し始めた時代として位置づけられています。
吉野作造・美濃部達吉などの思想家
吉野作造は「民本主義」という思想を提唱し、国家の中心は政府ではなく国民の意思であるべきだと主張しました。
その考えは大正デモクラシーの理論的支柱となり、政治学や社会運動に大きな影響を与えました。
美濃部達吉は「天皇機関説」を唱え、憲法上の天皇を国家の統治機関の一つと位置づけ、立憲主義の確立を目指しました。
これらの思想は当時の自由主義や議会政治の発展に寄与し、後の戦後民主主義にもつながる思想的基盤となりました。
文化人・芸術家(芥川龍之介・与謝野晶子など)
大正時代には文学や芸術の分野でも多くの才能が輝きました。
芥川龍之介は『羅生門』『鼻』などを発表し、知的で洗練された文体と人間の内面を描く作品で「近代文学の父」と称されました。
与謝野晶子は『みだれ髪』で女性の感情や恋愛を率直に表現し、女性文学の先駆けとして知られています。
そのほかにも夏目漱石門下の作家や白樺派のメンバー(志賀直哉・武者小路実篤など)が活躍し、文学・芸術の黄金期を築きました。
まとめ:大正時代は「近代日本への架け橋」だった
大正時代の意義を振り返る
大正時代は、明治時代の近代化を受け継ぎながら、政治や社会における「民意」の力が台頭した重要な時期でした。
第一次世界大戦による国際的地位の向上や、普通選挙法の成立、政党政治の定着など、政治制度の成熟に向けた動きがみられました。
また、都市化や産業の発展によって生活様式が変化し、新聞や雑誌、映画などの新しいメディアが一般層に広まったこともこの時代の大きな特徴です。
これらの要素が融合することで、大正時代は「民主主義と大衆文化の萌芽期」として、近代日本の形成に欠かせない時代となりました。
今に残る大正文化の影響
大正時代に生まれた文化や価値観は、現代社会にも影響を残しています。
例えば、カフェ文化や雑誌メディアの発展、男女平等の思想、個人の自由を尊重する考え方などは、この時代に芽生えたものです。
また、文学・音楽・ファッションなどの分野では「個性の表現」を重んじる大正モダンの精神が今も受け継がれています。
激動の時代の中で人々が模索した自由と表現の形は、現代の日本社会の根底に息づいていると言えるでしょう。
出典情報:宮内庁「昭和天皇・香淳皇后」、国立印刷局「官報の歴史」、国立公文書館「近代国家 日本の登場―明治の産業」・「大正デモクラシーとメディア」・「第1章 風刺漫画から見る大正デモクラシー」・「第3章 大正デモクラシーと新しいメディア」、首相官邸「歴代内閣 第19代 原敬」、国立公文書館 令和5年特別展「大正時代―公文書でたどる100年前の日本―」

