渋沢栄一は「日本資本主義の父」と呼ばれ、新しい1万円札の肖像にも選ばれた近代日本を代表する実業家です。
明治以降の日本で銀行や鉄道、保険などの重要な事業に関わり、約500もの企業の設立や育成に携わりました。
同時に教育や福祉、国際交流などの社会事業にも力を注ぎ、利益だけでなく社会全体の発展を重んじる姿勢を貫いた人物でもあります。
この記事では、渋沢栄一がどんな人生を歩み、何を成し遂げたのか、そしてなぜ現代でも注目され続けているのかを、初心者にも分かりやすく解説します。
新1万円札で名前を知った方や、日本経済の成り立ちをざっくり知りたい方にも読みやすい内容になっています。
渋沢栄一とはどんな人物?
渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市で生まれ、日本の近代経済の仕組みづくりに大きく貢献した実業家です。
幕末から明治・大正・昭和初期にかけて生き、日本が武士の社会から近代国家へと移る激動期を、経済の面から支えた人物として知られています。
多くの企業や団体の設立に関わりながらも、自分だけが富を独占するのではなく、社会全体を豊かにすることを重んじたところが大きな特徴です。
お金を儲けることと、人としての道徳や社会への責任を両立させようとした姿勢が評価され、「日本資本主義の父」と呼ばれるようになりました。
生い立ちと若い頃のエピソード
渋沢栄一は1840年に、農業や養蚕、藍玉の製造販売を営む農家の長男として生まれました。
幼い頃から家業を手伝いながら、父から読み書きや算術を学び、従兄から「論語」などの漢籍を教わるなど、実務と学問の両方に親しんで育ちました。
若い頃には尊王攘夷の考えに影響を受け、仲間とともに武力行動まで計画しましたが、実行前に思い直し、その後は一橋家に仕えて経営や財政の仕事に携わるようになります。
20代後半には徳川昭武に随行してフランスをはじめとするヨーロッパ各国を訪れ、パリ万国博覧会や銀行家との交流を通じて、近代的な資本主義社会の仕組みを自分の目で確かめました。
このときの経験が、日本に戻ったあとに株式会社制度や銀行制度を整える仕事に取り組む大きなきっかけになったとされています。
「日本資本主義の父」と呼ばれる理由
渋沢栄一が「日本資本主義の父」と呼ばれるのは、単に多くの会社をつくったからだけではありません。
銀行や鉄道、保険、商社、製紙、紡績など、近代国家に欠かせないさまざまな分野で株式会社の仕組みを導入し、日本の経済の土台をつくったことが大きな理由です。
また、東京株式取引所や東京商工会議所など、公的な性格を持つ経済機関の設立にも深く関わり、民間の力を生かしながらも社会全体の発展を目指す仕組みづくりを進めました。
自分個人の利益のためではなく、広く人材と資金を集めて事業を起こし、その企業が軌道に乗ると自らは次の事業へと移っていくというスタイルで、多くの産業の成長を後押ししました。
さらに、事業活動の根底に「道徳と経済を一致させるべきだ」という考え方を据え、長期的に社会に役立つ経済活動こそが本来あるべき姿だと説いたことも、「日本資本主義の父」とされるゆえんです。
渋沢栄一は何をした人?主要な功績を簡単に
渋沢栄一は、生涯を通じて日本の近代産業や社会事業の立ち上げに深く関わり、日本経済の仕組みづくりと社会の土台づくりを同時に進めた人物です。
銀行や鉄道、保険、商社、製紙、ホテルなど多様な分野の企業に関わる一方で、教育や福祉、国際交流といった公共性の高い活動にも力を注ぎました。
約500もの企業設立に関わった功績
渋沢栄一は、株式会社という形を活用しながら、生涯で約500社もの企業の設立や育成に関わったとされています。
その中には、第一国立銀行(のちの第一銀行、さらにみずほ銀行へとつながる)、王子製紙、日本郵船、東京瓦斯、帝国ホテル、石川島造船所(現IHI)など、現在まで続く大企業の源流となった会社が多く含まれます。
渋沢自身が一人で経営を握るのではなく、多くの出資者や人材を集めて事業を起こし、ある程度軌道に乗ると自らは第一線から退いて次の事業に移るというスタイルで、日本の産業全体の層を厚くしていきました。
こうした関わり方によって、一部の財閥だけでなく、より幅広い人びとが産業発展に参加できるようにした点も、渋沢の大きな特徴だといえます。
銀行・鉄道・保険など日本経済の基盤をつくった
渋沢栄一の功績の中でも重要なのが、近代的な金融とインフラの仕組みを日本に根づかせたことです。
1873年に設立された第一国立銀行は、日本初の本格的な銀行として企業や商人に資金を融通し、産業育成の中心的な役割を果たしました。
また、日本鉄道会社など鉄道事業にも関わり、人や物の移動をスムーズにすることで、国内市場の一体化と産業の発展を後押ししました。
さらに、保険会社や証券取引所、倉庫会社、海運会社などの設立にも携わり、リスクを分散させながら資金を集め、長期的な投資を可能にする経済の基盤づくりを進めました。
これらの仕組みが整えられたことによって、日本は短期間で近代的な経済システムを整え、列強と肩を並べるだけの産業力を持つ国へと成長していきました。
教育・福祉にも力を注いだ社会貢献活動
渋沢栄一は、企業活動だけでなく、教育や福祉などの社会事業にも強い関心を持ち、生涯で約600の社会公共事業に関わったとされています。
東京女学館など女子教育機関の運営や、様々な学校・学会の支援を通じて、人材育成は国の発展の土台であるという考えを具体的な形にしていきました。
また、医療や救護、赤十字運動への協力、貧困や孤児を支える慈善活動、国際親善を目的とした団体の設立などにも関わり、経済的な発展と社会的な支え合いを両立させようと努めました。
渋沢は、自らの事業で得た信頼や人脈、資金を社会に還元することを当然の責任と考えており、その姿勢がのちの企業の社会貢献活動の先駆けと評価されています。
初代1万円札の肖像に選ばれた理由
現在流通している新しい1万円札の表面には、日本資本主義の基礎を築いた実業家である渋沢栄一の肖像が描かれています。
これは、日本の近代化と経済発展に残した功績が大きいことに加えて、その人物像がお金の土台となる「信用」や「信頼」を象徴する存在だと評価された結果といえます。
国家への功績と信用への象徴性
財務省は、新しい紙幣の肖像に選ばれた人物について、それぞれの分野で傑出した業績を残し、日本の近代化に大きく貢献していることを選定理由のひとつとして示しています。
あわせて、精密な写真資料が残されていることや、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること、人物とその業績が国民に広く知られ、評価されていることなども条件とされています。
渋沢栄一は、第一国立銀行や東京株式取引所をはじめ、銀行、鉄道、ガス、保険など日本経済の基盤となる事業や機関の設立に深く関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれるほど近代経済の土台づくりに貢献しました。
さらに、教育や福祉、国際交流などの分野でも多くの社会事業を支え、私利私欲ではなく社会全体の利益を重んじる姿勢を貫いたことで、「信頼できる実業家」というイメージが強く結び付いています。
お金は人と人との信用にもとづいて価値が成り立つものなので、長年にわたって誠実さと信用を重んじてきた渋沢栄一の肖像は、国家の通貨にふさわしい「信用の象徴」として選ばれたといえます。
現代にも続く渋沢栄一の思想「道徳経済合一」
渋沢栄一の考え方の中心にあるのが「道徳経済合一」という思想であり、新しい1万円札の肖像に採用されたことで、この理念にも改めて注目が集まっています。
道徳経済合一とは、道徳と経済は本来相反するものではなく、正しい道徳に基づいて行われる経済活動こそが長く続き、社会全体を豊かにするという考え方を指します。
渋沢は「論語と算盤」などを通じて、不正やごまかしによって得た利益は一時的には増えるように見えても、信用を失えば決して長続きしないと述べ、仁義や誠実さに基づいた事業こそが真に永続する利益を生むと説きました。
一方で、道徳だけを重んじて利益をおろそかにするのではなく、社会に役立つ事業でしっかり利益を出し、その利益を基盤としてさらに公益に資する活動を広げていくことも重要だと考えていました。
今日では、企業の社会的責任やサステナビリティ、ESG投資などが重視されるようになり、道徳と経済の両立を目指す渋沢の思想は、現代の企業経営や働き方を考えるうえでも通用する考え方として評価されています。
新しい1万円札に渋沢栄一が選ばれた背景には、日本経済を築いた実績だけでなく、この道徳経済合一の精神を、これからの社会やビジネスのあり方を考えるうえで大切にしてほしいというメッセージも込められていると考えられます。
渋沢栄一の年表
| 西暦 | 和暦 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 1840年 | 天保11年 | 武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)に農家の長男として生まれる。 |
| 1853年 | 嘉永6年 | 家業の畑作・養蚕・藍玉製造販売に本格的に従事し、実務と商才の基礎を身につける。 |
| 1863年 | 文久3年 | 尊王攘夷運動に傾倒し、高崎城乗っ取りと横浜焼き討ちを計画するが未遂に終わり、京都に向かう。 |
| 1864年 | 元治1年 | 一橋家に仕官し、財政や経営実務に携わるようになる。 |
| 1867年 | 慶応3年 | 徳川昭武に随行してフランスへ渡り、パリ万国博覧会や欧州各国を視察し、近代資本主義の仕組みに触れる。 |
| 1868年 | 明治1年 | 明治維新にともないフランスから帰国し、駿府で徳川慶喜と再会する。 |
| 1869年 | 明治2年 | 静岡藩に商法会所を設立したのち上京し、明治政府に出仕して民部省・大蔵省で租税制度や紙幣制度の整備に関わる。 |
| 1873年 | 明治6年 | 大蔵省を辞任し、抄紙会社(のちの王子製紙)を設立するとともに、日本初の本格的銀行である第一国立銀行を創立し総監役となる。 |
| 1878年 | 明治11年 | 東京商法会議所(のちの東京商工会議所)の創立に関わり、会頭として企業・商人の連携と経済制度づくりを進める。 |
| 1885年 | 明治18年 | 日本郵船会社や東京瓦斯会社の創立に参加し、海運・都市ガスなどインフラ分野の近代企業育成を主導する。 |
| 1889年 | 明治22年 | 石川島造船所の創立に関わり、のちの重工業企業(現・IHI)の基礎を形づくる。 |
| 1896年 | 明治29年 | 第一国立銀行が営業満期を迎え株式会社第一銀行となり、引き続き頭取として日本の銀行制度の発展を支える。 |
| 1900年 | 明治33年 | 日本興業銀行の設立に関わり、日本の産業金融を支える長期資金供給の仕組みづくりに寄与するとともに、男爵を授けられる。 |
| 1909年 | 明治42年 | 古稀を機に多くの企業・団体役員を辞任し第一銀行など一部を除き実業界からの引退を表明、同年に渡米実業団を組織して団長として渡米する。 |
| 1916年 | 大正5年 | 第一銀行頭取を退き実業界を本格的に引退し、自身の経営哲学をまとめた『論語と算盤』を刊行する。 |
| 1923年 | 大正12年 | 関東大震災後に設立された大震災善後会の副会長となり、復興と被災者救済のための民間活動を主導する。 |
| 1931年 | 昭和6年 | 東京・飛鳥山邸で逝去する。享年91。 |
渋沢栄一を簡単にまとめると?
渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市に生まれ、日本の近代化が進むなかで銀行や鉄道、保険、海運、製紙など多くの分野で企業の設立や育成に関わった実業家です。
生涯において約500社の企業に関与したことに加えて、東京株式取引所や東京商法会議所といった経済インフラの整備にも尽力し、日本の資本主義経済の基礎づくりを進めたことから「日本資本主義の父」と呼ばれています。
一方で、福祉や医療、教育、国際親善など約600に及ぶ社会公共事業にも携わり、経済だけでなく社会全体の発展を重視した点も渋沢栄一の大きな特徴です。
日本経済の基礎をつくった国民的偉人
渋沢栄一は、パリ万国博覧会への随行などを通じてヨーロッパの近代的な経済システムを学び、その経験をもとに日本で株式会社や銀行制度を広めました。
第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、東京瓦斯、帝国ホテルなど、現在に続く企業の前身となる事業に次々と関わり、日本で近代的なビジネスが成り立つための仕組みと土台を整えました。
さらに、企業だけでなく東京株式取引所や東京商法会議所など公的性格の強い機関の設立にも深く関わり、市場のルールづくりや経済界の組織化を進めたことで、近代国家としての日本の経済基盤を築き上げました。
こうした功績により、渋沢栄一は教科書や紙幣の肖像として広く知られる「国民的偉人」として位置づけられ、日本の経済史を語るうえで欠かせない存在となっています。
今に生きる渋沢栄一の考え方と影響力
渋沢栄一は、単に企業を増やすことだけを目指したのではなく、「道徳経済合一」という考え方のもとで、道徳と経済活動は両立しなければならないと強く主張しました。
論語などの古典に基づいた人間としての道義と、現実の経済活動における利益追求を結びつけ、誠実な仕事や長期的な信頼こそが結果として大きな利益を生むという考え方を実践した点が特徴的です。
この姿勢は、今日の企業経営で重視される企業の社会的責任やサステナビリティ、ステークホルダーを意識した経営とも通じており、現代のビジネスパーソンにとっても学ぶべき点が多いとされています。
新1万円札の肖像に選ばれたことをきっかけに、渋沢栄一の思想や生き方は改めて注目されており、これからの時代における「信頼されるお金の使い方」や「社会に開かれた企業のあり方」を考えるヒントとして、今もなお強い影響力を持ち続けています。
- 公益財団法人 渋沢栄一記念財団「渋沢栄一略歴」
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